想い出を胸に、八ヶ岳山麓小海線を旅しました

中学卒業時、記念にと野郎数人で富士急ハイランドへ行きました。寝台急行銀河から身延線に乗り換え向かったのを覚えています。その時になぜかしら?誰の発案だったのか・・・多分その呼び名だけで選ばれた何も見るもののなさそうな、そして実際すぐに折り返し立ち去った「小海線・乙女駅」のホーム駅名表示板の前で集合写真を撮ったのを懐かしく思い出します。
わたしが大学生の頃、清里は「高原の原宿」と呼ばれ、ファンシーな建物が立ち並びタレントショップを初め若者が溢れかえり高原らしからぬ大変なことになっていました。かくいうわたしも当時は東京で学生生活を送っていたので、乗り遅れまいと友人と出かけて行ったものです。そしてその清里で生まれて初めて50ccバイクに乗車。それが無謀にも普通免許取り立てかつ50ccバイクの運転の仕方など皆目知らないくせに、若気の至りでレンタルバイクを借りて走らせたのです。その結果案の定というか砂利道のカーブでスリップ転倒し、顔面、手足にかなりの深い傷を負うことになってしまいました。まだ当時はおおらかな時代でしたので、大騒ぎにならずその点は助かりましたが、東京に戻りその後しばらくひたすら痛みと顔の傷への恥ずかしさにひとり耐え忍ぶはめになったのを思い出します。
大学2回生の夏休み、八ヶ岳山麓・信濃川上村レタス畑で住み込みバイトを経験。ただし早朝3時過ぎから中腰での刈り取り作業は、当時の世間知らずでもやし野郎のわたしに耐えきれるわけもまく何やかやと理由を付けて早々に退散させていただくこととしました。その後大人になるにつれ、当時とても周りに迷惑をかけていたことを思い出しその申し訳なさをひとつの教訓とし生かすよう心掛けてはきました。そして今回は清里の近くでもありますしこの機会に行っておかなければこの先ないであろうと、記憶もかなりうすれているなかでありましたが、お世話になった居倉集落をいまの自分の立ち位置からも振り返りながら懺悔の心持ちで訪ね歩きました。 y.terai








